松原事務局長死去のお知らせ

かねてから膀胱がんにより療養中であった、松原徹事務局長が9月20日午後4時59分永眠いたしました(享年58歳)。
松原事務局長は創設期より選手会に関わり、2000年に事務局長に就任。以降、選手一人ひとりのための選手会として、選手の待遇や環境の改善、04年の球界再編問題やプロアマ問題など諸問題の解決にリーダーシップを発揮してきました。
病魔に冒されてからも、やり残した使命を果たすべく復帰に意欲を燃やしていただけに本当に残念であり無念です。残された私たちは、今はただただその遺志を継いでいくことを誓うしかありません。

また今後は森忠仁事務局次長が事務局長代行として、業務を行いますことを重ねてお知らせいたします。

松原 徹 経歴

1957年5月22日、川崎市生まれ。県立川崎高校出身。1981年に神奈川大からロッテ・オリオンズ(現千葉ロッテ・マリーンズ)に球団職員として入団。83年から当時としては最年少で一軍マネージャーを担当、山本一義監督のもとで1年、稲尾和久監督のもとで3年の計4年マネージャーを務める。その後2年間のファーム育成部に所属後、1988年12月に選手会事務局へ。2000年4月から事務局長。

事務局長就任後は、選手会活動の基本精神である「選手会五訓」(一.球団と選手は対等でなければならない、二.労働組合であり、プロ野球の重要な一当事者、三.選手をひとりにさせない、四.選手会は将来の選手のための組織、五.主役は選手、選手が選手のために自ら決める組織)に基づき、選手寿命も短く不安定な雇用関係にあるプロ野球選手の地位向上に務めてきた。

特に球団と選手は対等でなければならないという立場からNPBや球団との粘り強い交渉を重ね、代理人制度の導入など、選手が安心してプレーに集中できる環境づくりを行ってきた。2004年の近鉄・オリックスの合併に端を発するプロ野球再編問題では、ファンや選手が納得しない形での拙速な再編姿勢に異を唱え、当時のプロ野球選手会の会長であった古田敦也らとともにリーダーシップを発揮、NPBと交渉を重ねるとともに、12球団各選手会と足並みを揃えての行動は世論を動かし、最終的には東北楽天新規参入という形で12球団が維持された。

プロアマ問題解決にも精力を傾け、高校球界に恩返ししたいという選手の想いから、球児にエールを送るメッセージ集として贈呈された「夢の向こうに」をきっかけに、日本高等学校野球連盟らの理解で、03年オフにプロ野球選手と高校球児の技術指導シンポジウム「夢の向こうに」に発展。04年オフからは全国6都道府県でシンポジウムが行われ、これを契機に長年に渡る断絶として球界に横たわってきたプロアマ問題が、当事者間の歩み寄りを持って動き始め、プロアマの合意の下、2013年最終的にプロ野球経験者の資格回復制度が制定された。

野球の国際化の潮流にあっては“WBCは参加国すべてにとって平等な真の国際大会であるべき”という考えのもと、宮本慎也、新井貴浩ら、歴代選手会長とともに、出場に当たっての主張や交渉を重ねてきた。その他、12球団合同トライアウトの導入や、選手年俸の減額制限、FAなど選手保留制度に関する制度づくりや改革など、選手がフェアな競争のもとに悔いのない選手生活を送る仕組みづくりに奔走。

また将来の野球人口の減少に憂慮、選手と共に新たなアイデアでのファンコミュニケーションイベントの実施や、2006年からは野球の原点であるキャッチボール専用球「ゆうボール」を監修し、全国での普及に務め、野球振興面では、NPBとも連携し、被災地支援型イベントや、ベースボール型スポーツを学校教育の現場で生かすべく、指導者講習を含めた普及活動も行ってきた。
同時に、近年は、引退後を視野に入れた、現役選手を対象とする新たなキャリア形成のプログラム作りも行っていた。

写真は、メジャーリーグ選手会訪問時、当時の事務局長ドナルド・フェア氏と(2007年)


▲ページのトップに戻る