夢の向こうにプロジェクト

プロ野球選手会からの高校球児へのエール。

高校球児を激励するメッセージ集がきっかけで誕生したプロジェクト

「夢の向こうに」は、もともと2003年に選手会ホームページで行ったオークションを契機に制作した高校球児の向けのメッセージ集のタイトルでした。
プロ野球選手と高校球児の間を隔てる壁。何がきっかけでこのような規定ができたかすら多くの選手は知らないほど、長い間プロと高校球児が接点を持つことはタブーとされていました。とはいえプロに上り詰めた誰もが通過してきたのが高校野球であり、甲子園をめざした日々です。“せめて頑張れということぐらいできないか”との想いで誕生したのが、選手が高校球児に向けた直筆のエールをまとめた小冊子です。伝えたかったのは、“思い続ければ夢は叶う”ということ。挫折を知らずにエリートコースを歩んだ人間だけがプロにいるのではない。失敗に落ち込み、自分より凄いプレーをする同級生を目の当たりにしては、夢をあきらめそうになったりする日々の中で、夢を想い続けたからここにいる。技術は伝えられなくても心は伝えたい。そうして誕生した小冊子は予想以上の反響を呼びました。

関係者の尽力で夢が実現

2003年12月26日大阪国際会議場で、近畿圏の高校151校、2459人を集めて行われたシンポジウム「夢の向こうに」はプロアマの関係が変わる第一歩でした。一冊の小冊子をきっかけに、高校野球の関係者を中心とした尽力で実現したこの舞台に立ったのは、当時、野球振興を推進する社団法人理事長でもあった立浪和義(中日)を中心に、福留(中日)、岩隈(近鉄)、赤星・井川(阪神)、大島・三輪・村松(オリックス)、黒田・新井(広島)、田口(ダイエー)ら西日本6球団の選手。もちろん指導が専門ではない上に、高校生からの質問にどう表現すればうまく伝わるか戸惑う中、手取り足取り丁寧に指導するうちに、指導のコツをつかんでいき、同じポジションの他球団の選手が聞き入るシーンなどもありました。翌月、東京実施の後、04年オフからは各都道府県6ヵ所を8年掛けて回るというプロジェクトが発足。「夢の向こうに」は定例イベントとして実現しました。

栗山英樹さん、湯舟敏郎さんなどのOBをコーディネーターに投手編、捕手編、打撃編、守備編、質疑応答という構成で進めていくのが「夢の向こうに」の基本パターン。セパ2球団を1組に各地で、投手、捕手、内野手、外野手をバランスよく6人のメンバーで編成。また担当球団の枠を越えて、地元出身の選手が加わる場合もあります。最近は経験した選手からの口コミで、積極的に名乗りを上げ、本番でも堂々とした教えぶりの選手が目立ちます。また過去には、宮崎県の実施で、野球部員のいじめをあることを耳にした同県出身の青木選手(ヤクルト)が「人間的に成長できないと、野球の技術も進歩しない」とたしなめるなど、技術だけはないメッセージも影響を与えはじめています。

夢の向こうに